A BUG IN YOUR EAR アメリカの広告・メディア事情 ルパート・マードック新聞の将来を語る

A BUG IN YOUR EAR アメリカの広告・メディア事情

大きな変革期にあるメディア業界、広告業界のこれからを考えるヒントになりそうな、アメリカの業界動向を紹介します。

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ルパート・マードック新聞の将来を語る

このブログで度々紹介しているように、いま米国の新聞業界は瀕死の状態にある。新聞社はこのまま衰退の道を歩むのか、あるいは新たなビジネス・モデルを確立して盛り返すのか。メディア王ルパート・マードックが新聞の将来について、母国オーストラリアのヘラルド・サン紙(マードック率いるニューズ・コーポレーション傘下のヘラルド・アンド・ウィークリー・タイムズ社が発行)に寄稿した記事を見つけたので紹介したい。

いまの新聞業界やジャーナリズムを批判し、同じくニューズ・コーポレーション傘下のウォール・ストリート・ジャーナルの今後についてのビジョンを明らかにしたこの記事は、一読の価値があると思う。発行元の許可を得ていないので全文を紹介することはできないが、できるかぎり原意を損なわないように要約を試みた。

目前に迫った自分たちの死に思いを巡らすことに、屈折した喜びを感じているジャーナリストが多すぎるようだ。いくつもの産業がインターネットの脅威にさらされながら、同時にインターネットの出現をチャンスとして活かそうとしているにもかかわらず、ジャーナリスト界の我が同胞たちの中には、自分たちの死亡記事を書くことに忙しく、そうしたチャンスに胸を躍らせる余裕のない人たちがいる。

そんな悲観的な人たちと違い、私は新聞が新たな高みに到達できると信じている。21世紀、人々は、これまでのどの時代よりも情報に飢え、同時に多くの情報源を手にしている。そして、多様で相反する様々な見解にアクセスできるいまだからこそ、読者はこれまで必要としてきたあるものを求めている―信頼のできる情報源だ。

新聞業界の人々の多くは、自分たちのビジネスは物質として存在している新聞だけだと考えている。私も他の人に劣らず、印刷された新聞を読み感じるのが好きだが、我々の本当のビジネスとは木の屍に印刷をすることではない。読者に優れたジャーナリズムと、優れた判断を提供することだ。

印刷された新聞が売れなくなっても、読者の信頼できる情報を提供し続ける限り、ウエブページの形で、RSSフィードを通じて、個別にカスタム化された記事や広告の形で、あるいは携帯電話に配信されるEメールで、送り届けられる新聞の量は増えるはずだ。

一言でいえば、我々はニュース紙からニュース・ブランドへの移行期間にある。

これまでの仕事人生を通じて私は、正確なニュースや情報を安価でタイムリーに送り届けることには、社会的かつ商業的な意義があると信じるようになった。これからも、送り届ける方法は変化するかもしれないが、我々のコンテンツを求める人は何倍にも増えるに違いない。

悲観的な人間を私が信用しないのは、簡単な理由による―そうした人たちが不愉快な予言を口にするのを、私は過去に何度も聞いてきたからだ。

確かに困難は現実に迫っている。おそらくペーパーレスオフィスなど永遠に実現しないだろうが、若者たちの暮らしはペーパーレス化しつつある。求人広告のような旧来からの売上ソースは消滅するかもしれない。ビジネス・モデルは変革を迫られつつある。そして、ジャーナリストは、ニュースや情報の新たなソースから競争を挑まれている。だが、時代遅れになりつつあるのは新聞そのものではなく、一部の編集者、記者、および読者との結びつきという新聞にとってもっとも価値ある資産を忘れかけている経営者たちだ。

私の経験をもとに、いま新聞が直面している2つの深刻な問題を明らかにしてみよう。

ひとつは、新技術(特にインターネット)による脅威だ。

そして、さらに深刻なもうひとつの脅威は、新聞社の心臓部をむしばむ、おごりと尊大さである。おごりは、これまで独占状態を謳歌してきたことから生まれた。多くの新聞関係者が読者に見せてきた尊大さは、さらに大きな問題だ。顧客に対して尊大な態度をとる人間が、顧客に製品を売り込むのに苦労するのは当たり前のことだ。

かつて、何がニュースで何がそうでないかを決められるのはほんのひと握りの編集者だけだった。彼らが記事を掲載すれば、それこそがニュースであるように扱われた。彼らがある出来事を無視して紹介しなければ、それは行われなかったことと同じであった。しかしいま、人々は新聞の編集者であれば無視するような事柄についても、数え切れないほどの情報源にアクセスできるようになった。そして、気に入った記事を見つけられなければ、ブログを開設し、そのニュースを紹介しコメントを加えることもできるのだ。

ジャーナリストは自分たちを社会の監視役のように考えがちだが、社会がその役割を望んだ時に常に期待に応えてきたとは言いがたい

例えば、ダン・ラザー(注:CBSテレビの人気報道番組「60ミニッツ」の人気キャスターだった)が番組中で、ブッシュ大統領は州兵時代に兵役義務を回避した疑いがあると報道したとき、ブロガー達は即座に、この報道の根拠となった情報源や証拠書類が信頼に足らないものであることを暴いて見せた。これに対してCBSの役員は、FOXテレビのニュース番組に出演し、「60ミニッツ」は幾重にもチェック・アンド・バランス構造をとったプロフェッショナルな組織である、と語り、ブロガーのことを、パジャマを着てリビング・ルームで書き物をしているだけの人間とこき下ろしたのである。しかし実際に、ラザーと彼の番組のプロデューサーたちを降板に追い込んだのは、そのパジャマを着た人間たちだった。

尊大なのは、ラザーや彼を守ろうとした人間たちに限らない。最近、国内で行われた調査によると、読者は正しい判断をできる人たちではないと不信感を持っている編集者や記者が多数いることがわかった。

ジャーナリストは読者がいることを当然のことと考え、取材対象である政府や企業と同じように読者が力を獲得することに目を瞑ってきた。そうして、新聞を危機的状況に追い込んだのである。

新聞は、読者の生活に寄与できるようなニュースを見つける代わりに、自分たちの興味にかなう記事ばかりを掲載してきた。ジャーナリストは、読者ではなく、ジャーナリスト仲間の称賛を得るために記事を書いてきた。そして、一部の編集者たちは記事を、読者を獲得するためではなく、ひたすら賞取りのための手段にしてきた。

私が今の仕事を始めたころは、誰かが不遜にも賞を自慢して歩けば、自分のことばかり考えている人間として相手にされなくなったことだろう。いまは、賞をとることばかりに心を砕く人間が多すぎる。新聞は売上が減り、部数が減り、あちこちでレイオフが行われつつある。新聞社の壁一面を飾っているのは、過去にとらわれた囚人たちをたたえる賞状ばかりで、そこには未来に向けての熱意など無い。

コンテンツのデジタル化は検索技術の洗練を招いた。人々は一連のニュースを国ごと、企業ごと、あるいは題材ごとに、いかようにもカスタマイズできるようになっている。これから10年の間に、検索技術はますます洗練されることだろう。

これからやらなくてはならないのは、新聞のブランドを活用しつつ、読者が自分向けにニュースを加工し、それを自分が望む方法で発信できるような環境を提供することだ。

これこそ、我々がウォール・ストリート・ジャーナルで取り組んでいくべきことだ。

我々はオンライン環境で優位に立つために、コンテンツを3つの車輪として提供しようとしている。

ひとつは、オンライン上で無料で読めるニュースである。2つ目は、wsj.comを有料で購読している人だけが読めるニュースである。そして3つ目は、読者が最先端の金融ニュースや世界中の分析をカスタマイズすることのできるプレミアム・サービスである。

そのすべてにおいて、我々は顧客の好みに応じてコンテンツを最適な方法で配信していく。すなわち、家庭や職場からアクセスできるウエブページや、アマゾンのKindleのような新しい技術を通じて、あるいは携帯電話やブラックベリーを経由してである。

つまるところ、我々は読者と新聞とを信頼関係で結んでいくという、スタート地点に立ち返るのだ。我々には、多くのページを複数の国ごとにレイアウトするコンピュータがある。いまだかつてない配送システムがある。しかしそのいずれも、読者の信頼とロイヤルティを獲得するという第一の目標を達成するのでなければ何の意味もなさない。

新聞は決してなくなりはしない。いまのように玄関口に投げ込まれるようなことはなくなるかもしれないが、新聞が届いたときのあの音は、社会や世界にこだまし続けるはずなのだ。



◆情報ソース
Adapt or perish, says Rupert Murdoch (Herald Sun)



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